untie(sora tob sakanaの終焉)

 
 
 
 運命というものがあるのならボクはuntieに出会うためにドルオタになった。
 今回はそんなお話。
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 オサカナが解散して4ヶ月が経った。
 実を言うとオサカナロスはさほど大きくない。

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 それは非モテでもフラれないワイの秘訣と理由は一緒。
 好きだと告白してそのときは拒否されたとしても諦めなかったらいつかは逆転する可能性はあるわけで。自分か相手が死なない限り、あるいは自分がフラれたと認めない限り完全にフラれたわけじゃない理論。
 そのうちこっちが忘れてしまったり興味失せたらフラれたことにならんしね。
 もちろん!ストーカーダメ。絶対!
 
 会うどころか声すら聞けなくても思い続けるほど好きでいられるならそれだけ魅力ある子だったってことじゃない。
 そんなわけでワイ、フラレてもその気持ちが薄まるまで3年から4年掛かるタイプ。

 同じことがオサカナにも言えるわけで。また歌の世界に戻ってくれると信じている。期待を捨てなければオサカナロスはやってこない。
  そう、ワイはオサカナヲタ界の三井寿と異名を持つあきらめの悪い男。(実はすぐ投げ出しがち)
 
 さてここからタイトルのuntieについて。
 この曲の素晴らしさはあえて言うまでもないが語る。って語るんかーいっ!!!しゃーないやん。オサカナは単なるアイドルを超え語らざるをえない一つのサブカルチャーになってしまったんやから。そうでなきゃこんだけオサカナのブログあちこちに乱立してないやろし。
 
【untieのオリジナリティ】
 まずね。この曲の特異性として3:21の曲の中で1:46までしかボーカルがないことがよく上げられているけど、この曲はなっちゃんのあとに響くヴァイオリンが4人目のボーカルを果たしているんやと思う。だからそこは置いといて。
 
 曲の構成としてふうちゃんのソロから始まって愛ちゃんの輪唱、すぐにハモリ。また輪唱に戻り、そして意表を突いて別メロでなっちゃんが入ってくる。その後も輪唱、ハモリ、ユニゾン、別メロが複雑に展開し、3人の歌声はほんの一瞬だけ混ざり、なっちゃんのソロで歌詞部分は終わる。
 こんなむちゃくちゃ難解な曲構成、アイドルどころかプログレでさえ浅学にして聞いたことがない。唯一無二。オリジナリティの塊。天才照井さん、ここにきてまだこんな隠し玉を持ってたなんて。
 そしてなによりすごいのがこれだけ技術的に困難な曲でありながら技巧をまったく感じさせず3人の声がシンプルに心の奥底に響いてくることだ。作る方も歌う方もおそろしく大変だったろうに。
 おそらく時代を超えた名曲。だから思ったんや。この曲に出会うためにワイはアイドルヲタクになったんやろなって。
 しかし空前絶後の名曲に人類の歴史で最高のステージ、DMMシアターのライブと歴史に楔を打ち込むものを2つも残したのだからほんとオサカナってすげえ。同時代に生きてたことに感謝するしかない。
 
【オサカナの楽曲群の中でのuntieのポジション1】
 代表曲としてよく上げられる「広告の街」
 これはインストだけでも成立する曲。ワイも最初に前年のベスト100楽曲大賞みたいなんで見て、すぐに検索してユーチューブで見たのがこれやった。

www.youtube.com(ドラムがリンタロウさんじゃないのにいまさら気づく)

 
 untieは広告の街と裏表にある曲だと思っている。
 広告の街がボーカルなしでも成立していたがuntieはボーカルだけで成立する。ボーカルある部分は3人の声を活かすために音数を極限まで抑えたピアノ1本だけ。それまでのオサカナ曲である卓越した演奏技術に裏付けされた超絶変態曲(!)とはまったく対局。
 これ、おそらくアカペラにすることによってこの曲の新たな魅力が生み出されると思う。インスト版広告の街がまったく違う魅力を放ったように。
 できるならふうちゃんのマジックポップでゲストになっちゃん、まなちゃん呼んでアカペラでやって欲しい。それが叶わぬなら開歌さんでチャレンジしてほしい。
 
【オサカナの楽曲群の中でのuntieのポジション2】
 ラストアルバムで新曲は信号とuntieの2曲だった。思うんだ、信号とuntieはそれまでの照井さんの世界観という意味での表裏なのでは、と。
 
 照井さんの歌詞は宇宙へ旅立っていく世界観が多い。さすが現代の宮沢賢治銀河鉄道の夜マンと呼ばれているだけのことはある。いや、呼ばれてないけど。
 
「列車は走る地平線追い越して」「星の川またいで列車は走る」ribbon
で走り出した飛行列車オサカナ号は
「幾千の夜空を追い越してくもう戻らないよ星の海」(まぶしい)
「シューティングスターそして飛んでいけ他の宇宙のステージへ」(シューティングスターランデブー※)
で宇宙に飛び出し
君を連れて無重力の海へ」(moon swimming weekender)
で月の裏側へ
「午前2時を貫く巨大な円柱これが人間を乗せてきた鉄道なんだって」(ブルー、イエロー、オレンジ、グリーン)
「完璧なプランと宇宙遺産巨大なショッピングモール刺激的なグラフィティ」(KnockKnock)
に至って新しい星で繁栄し世代を重ねた。
(※ちなみにシューティングスターランデブーの歌い出しは「信号が変わって混ざり合う波間意識はパラレル」こんなところにも信号が。)
 
 そして信号。
「遠く水平線の果てまで無数の飛行船が浮かぶ」
 これって今まで歌詞の主人公だった宇宙に飛び立った人々(=オサカナちゃんたち)を見送った地球の人の視点な気がする。オサカナが空に飛び立っていくのを見守る照井さんの惜別の歌。
 さらにBYOGで宇宙で世代を重ねたように、残された地球でも同じように何世代か後の世界がuntieなのだと思う。動物たちがどこかに行ってしまった(信号)世界で残った虫が最後に世界を壊す。何百年後、宇宙のどこかで生きている君を思いながら、地球で絶滅寸前になった人類。かつて「呼び合ってた透明な海」を残った最後の一人で「砂の上で海を眺めている」
 
 つまりuntieはオサカナワールドの係り結びの法則の中で楽曲的な意味と世界観の二重の意味で結びの役割を担っている、いやオサカナラスト曲という意味では三重か、特別の曲だと言えよう。
 
 この曲は生ではラストライブで1回だけしか披露されなかった。最後にスモークの中、消えていくオサカナちゃんたちという演出はこれ以外にないものだった。9月6日。アンコールの必要ない完璧な夜だった。
 
【ラストライブuntie】
 
 個人的に一番グッと来たのは実はuntieではなく「夜間飛行」だった。4人時代のソロダンスありヴァージョンが好きで3人で揃った振り付けするのはちょっと物足りなさを覚えていた。それがこの日は!ソロダンスヴァージョン!どれほどぶち上がったことか!!!
(最近知ったが天体の音楽会バンドセットでも3人にソロバージョンやってたのね。そしてまなちゃんがソロダンスいいよねとオーディオコメンタリーで言ってたので多分ワイまなちゃんと気が合うと思う)
 そして最初にふうちゃんのソロ部分、あれ?この振り付けは、そうだよな、ふうちゃんのパートは最後に後ろ向いて腰を振るはずなのに後ろ振り向かない、そして次のなっちゃんにバトンを渡すような・・・これは4人体制のとき一番最初にソロを踊る玲ちゃんの振り付けやんっ!
 こんなん涙してしまうやんか!最後のライブで一番好きなソロダンスありヴァージョンってだけでも最高なのに、ましてや玲ちゃんの振りなんて!!!
 
 もっとも後から配信で見てみたら普通にふうちゃんの振り付けでした。
 つまり・・・
 ワイが見てたときだけ「信号が変わって混ざり合う波間 意識はパラレル」そう。ふうちゃんが玲ちゃんの振りを踊るパラレルワールド。時空が違っていたのだろう。


 オサカナ解散以来泣いたことは無い。
 時々オサカナのことを思って胸がギュッとなることあるけどそれは加齢から来る不整脈だと信じたい。
 いや、それも嫌だ。


 おしまい